内藤です
突然ですが、
何のためにブログを書いていますか?
もっと言えば、何のために今の仕事をしていますか?
こんな話しがあります。
これは、アメリカでのお話です。
ある鉄道会社の社長が、路線の修理現場を視察していました。
すると、ひとりの作業員が親しげに話しかけてきました。「久しぶりだね! 君もずいぶん出世したものだね。
君が社長になったと聞いたときは、本当に驚いたよ。」見ると、その作業員は、約10年前に社長と一緒に作業員として働いていた友人でした。
そして、その友人は言いました。「10年前は一緒に、50ドルの日給をもらうために働いていたのにね。君も変わったね」
社長は答えました。
「…そうだったのか。君は50ドルをもらうために働いていたのか。
私は、10年前も今も、この鉄道会社のために、そして、世の中の人のために、快適な旅をしてもらうために働いているんだ」(引用文献)
『私が一番受けたいココロの授業 講演編 与える者は、与えられる—。』
比田井和孝・美恵 著 / ごま書房新社
目的が違うと、大きな違いが出てきます。
作業員は、自分だけのために、社長は周りの人を喜ばせるために働いていました。
僕は、
ブログは、読者が喜んでくれる内容だから読んでくれる。
仕事は、喜んでくれる人がいるから成り立つ。
と考えています。
ブログも仕事も相手を喜ばせること
先程のエピソードで、社長は快適な旅を提供することで、世の中の人に喜びや幸せを与えていました。
10年前に、将来自分自身どうありたいのか『あり方』をちゃんと見れていたのです。
一方作業員は、将来どうありたいかなど考えておらず、きっと目先の給料の事だけしか見えていなかったのでしょうね。
何のためにブログを書いていますか?
何のために今の仕事をしていますか?
将来どうありたいですか?
ここを見誤ると、情報発信の仕方も違ってきます。
相手の喜びが自己犠牲の先にあってはいけない
これは何も自己犠牲してまで相手を喜ばせろっ、てことではありません。
本当は書きたくないことも、無理してでも喜ばれることを書けっ、てことではないです。
相手のためにと、嫌なことを我慢しストレスをためるのはよくありません。
記事や仕事の質が落ちたり、あるいは続けられなくなったら元も子もありません。
続けられなくなったら結局相手を喜ばせられませんから。
だから
・自分の書きたいこと(やりたいこと)の中で、喜んでもらえることは何か?
・相手が喜んでくれることの中で、書きたいと(楽しめるとこと)はないか?
という視点が必要です。
さっきの社長も、多くのお客さんが鉄道を使って喜んでいるのを見るのが好きだったはず。
自分だけの軸、相手だけの軸ではなく、両方をもつバランスが大事だということです。
「自分の書きたいことだけ書こう(やりたいことだけやろう)!」
「相手のニーズを満たすことが何より大事!」
と片方ばかりがよく言われます。
でも、両方満たすから続くし、世間も喜ぶと思うんですよね。
何のためにブログを書いていますか?
何のために今の仕事をしていますか?
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